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ソーシャルビジネス研究会

NPO法人グリーンバレー

設立:2004年12月

徳島県神山町に本拠を置く非営利活動法人

理事長:大南信也


「日本の田舎をステキに変える!」

「日本の田舎をステキに変える!」をミッションに掲げ、徳島県神山町でさまざまな事業を展開するNPO法人。 神山町は、1955年の昭和の大合併の際に5つの村が合併してできた村。合併当時は21,000人、現在は6,500人の人口となっている。他の日本の中山間地域と同様に過疎化が進む中、グリーンバレーでは

人」をコンテンツにしたクリエイティブな田舎づくり

多様な人の知恵が融合する場「せかいのかみやま」づくり

創造的過疎による持続可能な地域づくり

という3つのビジョンを掲げ、「できない理由より、できる方法を!」「とにかく始めろ!Just Do It!」を合い言葉に さまざまなプロジェクトを企画・運営を通して、芸術と文化による地域再生に取り組んでいる。

主なプロジェクト

アドプトプログラム・神山アーティストインレジデンス・森づくり・棚田再生・空き屋/商店街再生・劇場寄井座再生・ サテライトオフィス・インターンシップ・就業支援神山塾・公共施設指定管理・神山町移住交流支援センター運営 など

を行っています。構成メンバーとして理事8名、非常勤10名、そしてボランティアスタッフは30名ほどの方々が関わり合いながら、おせっかいなソムリエ&プランナーとしてさまざまなプロジェクトを企画運営。今まで、NPOとして岡山県夢づくり推進大賞(2010年)や岡山県観光連携功労賞(2010年)、内閣府女性のチャレンジ賞(2011年)、第3回地域再生大賞優秀賞(2012年)等を受賞している。今回は理事長である加藤せい子さんにお話を伺いました。

現在この過疎の町で起こりはじめている変化を象徴するのが2つの出来事。

2011年度社会動態人口が、町史上初の増加

2010年10月以降、ITベンチャー企業など10社がサテライトオフィス設置・本社移設


という変化をどうやって形づくったのか、グリーンバレーの組織運営について大南さんにお話を伺ってきました。

小さな成功体験がNPO法人グリーンバレーの原点


グリーンバレーの設立は2004年12月ですが、原点となる活動は1991年に行った小さなプロジェクトがきっかけです。戦前、カリフォルニア州で日本人移民排斥運動がありました。その時、日米友好のためにギューリック博士という方が「子どものころから仲良くすることが大事」と呼びかけ、1927年に「アリス」という人形を日本の小学校に贈ったということがありました。その後、太平洋戦争が起こり敵国人形として多くの人形が処分されたそうです。その人形が神山に残されていたんですね。1991年にその人形をアメリカに帰そう!と村の有志と小学生達でカリフォルニアまで届ける、ということをやりました。実はこの体験が、のちに国際交流(世界に目を向けた地域づくり)の活動に繋がるんです。
1992年に徳島県新長期計画(97年〜06年)で「とくしま国際文化村プロジェクト」がはじまりました。この時に、国や県が作る施設であっても住民が管理運営する時代が到来するだろう、という予見もあり、神山町に国際文化村を作るにしても、自分達の思いを込めた国際文化村を創っておかないと、いざ出来上がってから有効に使ってくれと言われても使えないだろうと。そこで、住民の方からプランを描いて県へ提案しよう!となりました。与えられたものでどうにかする、というスタンスから、自分達で考えて行動する。このことが転機だったのではないかと。この時、一緒に「アリス里帰りプロジェクト」に取り組んだメンバーが何人か加わって、先のことはわからない・どうなるかわからない状態ではあったけれど、あの時の成功体験があったから、とにかく欲しい未来を描いてみよう、やってみよう!とそういう雰囲気が生まれたんだと思います。

「できる方法」を考えるだけ

経営面で大きな影響を与える地域性、土地柄、風土について

この時、神山を「国際文化村」という視点でまちづくり、ハードではなくてソフトを!と考え、町の人皆でアイデアを出し合ったんですね。その過程で必ず過去の失敗例を持ち出し、なぜそのアイデアが成功しなかったのかを羅列する人がいるんです。 アイデア・キラーです。彼らは事実、経験に基づいて話しをしているから説得力もある。そういう人がいると、どうしてもアイデア段階で止まってしまう、何も起きないんです。そこで、今までの経験から「できない理由」を理論づけすることは簡単、論理的で理知的にさえ見える。でも、ちょっと見方を変えて「できる方法」を考えよう!と話ました。事実そこから、劇的に町が変わっていったんです。まずはやってみる。それから考える。そういう雰囲気というものが生まれました。

アートによるまちづくり

(神山アート・イン・レジデンス)

まだNPOグリーンバレーが法人化される前、1999年に「神山アーティスト・イン・レジデンス」という事業をスタートしました。この取組みは各種の芸術制作を行う人物を一定期間神山に招聘し、滞在しながら作品制作をしてみもらいます。私たちはアーティスト募集時に「整った設備を希望するのであれば、神山にはないので他に応募して下さい。豊富な資金を求めている方も、神山では準備出来ないので他に応募して下さい。」と伝えます。その代わり「日本の片田舎で、地域の人、住民たちの暮らしの中で、作品を作りたいのであれば、神山はあなたの場所だから、ぜひ応募して下さい」と。そうすることで、神山という町が持つ地域資源、環境を求めるアーティスト達が世界中から応募してくれます。神山という町にあるもの、そのありのままを資産にすること、それがハードではなくソフトによる地域活性です。

当初の財源は文化庁による助成金、インターネットで募集を集めることで、現在は応募者も増え、応募料を頂戴するようになってからは(応募にあたり、作品送付いただいたものを返品するための主な費用として)、自分達で自主的に運営出来るようになりました。そうすることで、町の人達にも自信が、今では多くのアーティストと町の交流が生まれています。

バックキャステニングによるまちづくり

(ワーク・イン・レジデンス)

またグリーンバレーが神山町から委託されて行っている事業である「神山町移住交流支援センター」というものがあります。事業の目的としては、少子高齢化・過疎化・産業の衰退等による地域課題を、子どもを持つ若い夫婦・起業者・若者を神山に移住してもらうことで、課題解決を目指すというものです。今我々がやっているのは単に空き家があるから、誰でも移住したい人を呼び込むというプランではありません。我々グリーンバレーが担っているのは、将来の10年後、20年後もふまえてどんな町にしたいのか、その未来の町にあったらいいな、と思う働き手や起業家を逆指名するということをやっています。町にパン屋がいないなら、パン屋の移住者を。町にWEB制作の人がいないなら、WEB屋さんを。そうやって未来の町の機能を1つ1つ作っていく。移住交流支援を行政のみで行っていると、逆指名というやりかたでのまちづくりは難しい。20、30年後に神山にいる年少人口(0〜14才)が200人を切るという試算があります。このままでは1学年10人弱になるということも考えられるわけです。それでいいのか?若い世代が減れば、さらに人口減少は進みますし、多分町が生き残っていくことも難しいでしょう。であれば、1学年25人は欲しいと。なら毎年5世帯を誘致する。我々がやっているのは【未来】から【現在】を見た時、未来にどのような課題があるのか、それをしっかりと数値化し、【現在】の時点から【未来】に必要な人や機能を外部から適切に誘致すること。それを私たちは「創造的過疎」と呼んでいます。

移住者を選ぶ際のものさしとしては、若い夫婦や子どもがいる世帯、そして重要なのは仕事を持っているということ。神山は過疎で人口減少している町、普通にしてたら仕事はありません。自ら仕事を持って来れる人、クリエイティブな発想で仕事を自ら生み出せる人、そんな人に町に来てもらっています。その結果、2011年度社会動態人口が、町史上初の増加し、2010年10月以降、ITベンチャー企業など10社がサテライトオフィス設置・本社移設など、少しずつ形になってきているのです。

「創造的過疎・せかいのかみやま構想」

(ワーク・イン・レジデンス)

神山が目指すのは、クリエイティブな人が集まる、良質な価値創造の場。
神山生まれの人と日本中、世界中の面白い人が集まり、一緒に生活をする。
アートで数ヶ月滞在する人いれば、都心部からの移住者もいる。
イベントのように、モノを中心として仕組みは飽きがくるが、
人を適度に循環させておけば、継続的に新しい何かを生み出せる。

そう考えて日々活動しています。

振り返って

グリーンバレーの組織はプロジェクト毎に実行委員会をNPOの外に作り、そこに都度適材適所で人材を雇用する仕組み。 神山自体に就業支援神山塾というものがあり、半年間の神山での里山体験を通じて、地域プロデューサーの育成を行っている。この塾生の中から、個人の思い・スキルなどから新しく生まれる実行委員会へ人材を雇用するなど、ゆるやかな人の人材交流が生まれる環境を持っていることが地域にとって有益であるように思う。
今回大南さんのお話の中で、何度かおしゃっていたのが、「ゆるさ」「やったらええんちゃう」というグリーンバレーの持つ堅苦しくない、ほんわかしたスタンスの大切さについて。常に前例主義、過去の成功体験だけを踏襲するやり方では、これだけ世の中が激動している今、この時代に立ち向かっていくことができるのか?という事に対するグリーンバレーとしての答えなのでしょう。
また「みのたけに沿った」活動をすることで、行っている事業のほぼすべてでサービス受益者と提供者が対等の関係であるということ。神山町が提供できること、ありのままを提供することで、地域に負荷をかけない持続可能なまちづくりを行っていけるのでしょう。
そのスタンスが、また町にとってふさわしい人材を呼び込む。

そういったグットスパイラルが生まれているのが神山町の現在ではないでしょうか。

「日本の田舎をステキに変える!」



「日本の田舎をステキに変える!」をミッションに掲げ、徳島県神山町でさまざまな事業を展開するNPO法人。 神山町は、1955年の昭和の大合併の際に5つの村が合併してできた村。合併当時は21,000人、現在は6,500人の人口となっている。他の日本の中山間地域と同様に過疎化が進む中、グリーンバレーでは


「人」をコンテンツにしたクリエイティブな田舎づくり

多様な人の知恵が融合する場「せかいのかみやま」づくり

創造的過疎による持続可能な地域づくり


という3つのビジョンを掲げ、「できない理由より、できる方法を!」「とにかく始めろ!Just Do It!」を合い言葉に さまざまなプロジェクトを企画・運営を通して、芸術と文化による地域再生に取り組んでいる。

主なプロジェクト

アドプトプログラム・神山アーティストインレジデンス・森づくり・棚田再生・空き屋/商店街再生・劇場寄井座再生・ サテライトオフィス・インターンシップ・就業支援神山塾・公共施設指定管理・神山町移住交流支援センター運営 など

「神山町の変化」

現在この過疎の町で起こりはじめている変化を象徴するのが2つの出来事。

2011年度社会動態人口が、町史上初の増加

2010年10月以降、ITベンチャー企業など10社がサテライトオフィス設置・本社移設

という変化をどうやって形づくったのか、グリーンバレーの組織運営について大南さんにお話を伺ってきました。

小さな成功体験が
NPO法人グリーンバレーの原点

グリーンバレーの設立は2004年12月ですが、原点となる活動は1991年に行った小さなプロジェクトがきっかけです。戦前、カリフォルニア州で日本人移民排斥運動がありました。その時、日米友好のためにギューリック博士という方が「子どものころから仲良くすることが大事」と呼びかけ、1927年に「アリス」という人形を日本の小学校に贈ったということがありました。その後、太平洋戦争が起こり敵国人形として多くの人形が処分されたそうです。その人形が神山に残されていたんですね。1991年にその人形をアメリカに帰そう!と村の有志と小学生達でカリフォルニアまで届ける、ということをやりました。実はこの体験が、のちに国際交流(世界に目を向けた地域づくり)の活動に繋がるんです。
1992年に徳島県新長期計画(97年〜06年)で「とくしま国際文化村プロジェクト」がはじまりました。この時に、国や県が作る施設であっても住民が管理運営する時代が到来するだろう、という予見もあり、神山町に国際文化村を作るにしても、自分達の思いを込めた国際文化村を創っておかないと、いざ出来上がってから有効に使ってくれと言われても使えないだろうと。そこで、住民の方からプランを描いて県へ提案しよう!となりました。与えられたものでどうにかする、というスタンスから、自分達で考えて行動する。このことが転機だったのではないかと。この時、一緒に「アリス里帰りプロジェクト」に取り組んだメンバーが何人か加わって、先のことはわからない・どうなるかわからない状態ではあったけれど、あの時の成功体験があったから、とにかく欲しい未来を描いてみよう、やってみよう!とそういう雰囲気が生まれたんだと思います。

「できる方法」を考えるだけ

経営面で大きな影響を与える地域性、土地柄、風土について

この時、神山を「国際文化村」という視点でまちづくり、ハードではなくてソフトを!と考え、町の人皆でアイデアを出し合ったんですね。その過程で必ず過去の失敗例を持ち出し、なぜそのアイデアが成功しなかったのかを羅列する人がいるんです。 アイデア・キラーです。彼らは事実、経験に基づいて話しをしているから説得力もある。そういう人がいると、どうしてもアイデア段階で止まってしまう、何も起きないんです。そこで、今までの経験から「できない理由」を理論づけすることは簡単、論理的で理知的にさえ見える。でも、ちょっと見方を変えて「できる方法」を考えよう!と話ました。事実そこから、劇的に町が変わっていったんです。まずはやってみる。それから考える。そういう雰囲気というものが生まれました。

アートによるまちづくり

(神山アート・イン・レジデンス)

まだNPOグリーンバレーが法人化される前、1999年に「神山アーティスト・イン・レジデンス」という事業をスタートしました。この取組みは各種の芸術制作を行う人物を一定期間神山に招聘し、滞在しながら作品制作をしてみもらいます。私たちはアーティスト募集時に「整った設備を希望するのであれば、神山にはないので他に応募して下さい。豊富な資金を求めている方も、神山では準備出来ないので他に応募して下さい。」と伝えます。その代わり「日本の片田舎で、地域の人、住民たちの暮らしの中で、作品を作りたいのであれば、神山はあなたの場所だから、ぜひ応募して下さい」と。そうすることで、神山という町が持つ地域資源、環境を求めるアーティスト達が世界中から応募してくれます。神山という町にあるもの、そのありのままを資産にすること、それがハードではなくソフトによる地域活性です。

当初の財源は文化庁による助成金、インターネットで募集を集めることで、現在は応募者も増え、応募料を頂戴するようになってからは(応募にあたり、作品送付いただいたものを返品するための主な費用として)、自分達で自主的に運営出来るようになりました。そうすることで、町の人達にも自信が、今では多くのアーティストと町の交流が生まれています。

バックキャステニングによるまちづくり

(ワーク・イン・レジデンス)

またグリーンバレーが神山町から委託されて行っている事業である「神山町移住交流支援センター」というものがあります。事業の目的としては、少子高齢化・過疎化・産業の衰退等による地域課題を、子どもを持つ若い夫婦・起業者・若者を神山に移住してもらうことで、課題解決を目指すというものです。今我々がやっているのは単に空き家があるから、誰でも移住したい人を呼び込むというプランではありません。我々グリーンバレーが担っているのは、将来の10年後、20年後もふまえてどんな町にしたいのか、その未来の町にあったらいいな、と思う働き手や起業家を逆指名するということをやっています。町にパン屋がいないなら、パン屋の移住者を。町にWEB制作の人がいないなら、WEB屋さんを。そうやって未来の町の機能を1つ1つ作っていく。移住交流支援を行政のみで行っていると、逆指名というやりかたでのまちづくりは難しい。20、30年後に神山にいる年少人口(0〜14才)が200人を切るという試算があります。このままでは1学年10人弱になるということも考えられるわけです。それでいいのか?若い世代が減れば、さらに人口減少は進みますし、多分町が生き残っていくことも難しいでしょう。であれば、1学年25人は欲しいと。なら毎年5世帯を誘致する。我々がやっているのは【未来】から【現在】を見た時、未来にどのような課題があるのか、それをしっかりと数値化し、【現在】の時点から【未来】に必要な人や機能を外部から適切に誘致すること。それを私たちは「創造的過疎」と呼んでいます。

移住者を選ぶ際のものさしとしては、若い夫婦や子どもがいる世帯、そして重要なのは仕事を持っているということ。神山は過疎で人口減少している町、普通にしてたら仕事はありません。自ら仕事を持って来れる人、クリエイティブな発想で仕事を自ら生み出せる人、そんな人に町に来てもらっています。その結果、2011年度社会動態人口が、町史上初の増加し、2010年10月以降、ITベンチャー企業など10社がサテライトオフィス設置・本社移設など、少しずつ形になってきているのです。

「創造的過疎・せかいのかみやま構想」



神山が目指すのは、クリエイティブな人が集まる、良質な価値創造の場。
神山生まれの人と日本中、世界中の面白い人が集まり、一緒に生活をする。
アートで数ヶ月滞在する人いれば、都心部からの移住者もいる。
イベントのように、モノを中心として仕組みは飽きがくるが、
人を適度に循環させておけば、継続的に新しい何かを生み出せる。

そう考えて日々活動しています。

振り返って


グリーンバレーの組織はプロジェクト毎に実行委員会をNPOの外に作り、そこに都度適材適所で人材を雇用する仕組み。 神山自体に就業支援神山塾というものがあり、半年間の神山での里山体験を通じて、地域プロデューサーの育成を行っている。この塾生の中から、個人の思い・スキルなどから新しく生まれる実行委員会へ人材を雇用するなど、ゆるやかな人の人材交流が生まれる環境を持っていることが地域にとって有益であるように思う。
今回大南さんのお話の中で、何度かおしゃっていたのが、「ゆるさ」「やったらええんちゃう」というグリーンバレーの持つ堅苦しくない、ほんわかしたスタンスの大切さについて。常に前例主義、過去の成功体験だけを踏襲するやり方では、これだけ世の中が激動している今、この時代に立ち向かっていくことができるのか?という事に対するグリーンバレーとしての答えなのでしょう。
また「みのたけに沿った」活動をすることで、行っている事業のほぼすべてでサービス受益者と提供者が対等の関係であるということ。神山町が提供できること、ありのままを提供することで、地域に負荷をかけない持続可能なまちづくりを行っていけるのでしょう。
そのスタンスが、また町にとってふさわしい人材を呼び込む。

そういったグットスパイラルが生まれているのが神山町の現在ではないでしょうか。

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